創業ストーリーを“いい話”に仕上げて、失敗した。
数年前の話だ。創業四十年の製造業の会社から、会社案内をつくり直したいと相談をもらった。技術は確かで、取引先からの信頼も厚い。でも「うちはいい会社なんですが、それが紙の上で伝わらない」と社長は言った。よくある相談だ。
僕は張り切った。二代目の社長にたっぷり話を聞き、先代の創業秘話を掘り、会社案内の見開きに二千字ほどの創業ストーリーを書いた。町工場から始まったこと、資金繰りに苦しんだ夜のこと、それを支えた家族と職人たちのこと。読み返しても、いい話だった。社長も「泣きそうになりました」と言ってくれた。校正は一度で通った。印刷して、納品した。
半年後、その会社に別件で顔を出したとき、営業の方に何気なく聞いた。「あの会社案内、使っていただけてますか」
「あー、置いてます」
置いてある、と言われたのだ。使っている、ではなく。
理由を訊いて、僕は自分の失敗を理解した。「読むといい話なんですけど、商談で読ませる時間がなくて」「新人にも渡してるんですが、感想が“先代すごいですね”で終わっちゃうんですよね」
そのとおりだった。僕が書いたのは、感動する物語であって、誰かが使える物語ではなかった。
■ 美談は、判断に使えない
創業ストーリーには、ほぼ必ず「苦労と克服」の型が入る。資金がなかった、取引先に切られた、それでも歯を食いしばった、支えてくれる人がいた。事実だし、尊い。ただ、その型は世の中に溢れているぶん、読み手の頭の中で「よくある創業の苦労話」というフォルダに入り、そのまま閉じられる。
もっと具体的に言うと、こういうことだ。美談を読んだ社員は、感心はするが、明日の仕事で使えない。目の前に微妙な案件があって、受けるか断るか迷っているとき、「先代は苦労した」という記憶は何も助けてくれない。
会社の物語が本当に効くのは、それが「判断の材料」になっているときだけだ。
■ 掘るべきは、成功でも苦労でもなく「捨てた瞬間」
失敗のあと、僕はヒアリングのやり方を変えた。いまは創業ストーリーを聞くとき、必ずこの三つを訊く。
一つ目。「創業から今日までで、いちばん儲かりそうだったのに、断った仕事は何ですか」
二つ目。「そのとき、何を理由に断りましたか。社員にはどう説明しましたか」
三つ目。「同じ話がまた来たら、いまも同じ判断をしますか」
この三つを訊くと、たいてい場の空気が変わる。社長が、用意していた話の外に出るからだ。
さっきの製造業の会社にも、あとから改めて訊きに行った。すると、先代の時代にこんなことがあったと分かった。大手からの大口の依頼で、納期を守るには検査の工程を一つ飛ばすしかない条件だった。売上でいえば当時の年商の三割に届く話だったという。先代は断った。理由は「うちは不良を出さない会社だから」ではなく、「一度飛ばすと、次も飛ばせると思うから」だった。
僕はこの一文に痺れた。品質を守る、という美しい話ではない。人間はゆるむ、だから仕組みとして一度も飛ばさない、というきわめて現実的な判断だ。しかもこれは、いまの現場でもそのまま使える。
■ 「判断の記録」は、紙の外で使われはじめる
その一文を、僕は会社案内の冒頭に据え直した。感動の物語は八百字に削って後ろに回し、代わりに先代と現社長が下してきた判断を、三つ、それぞれ「状況・決めたこと・理由」の順で並べた。読み物ではなく、記録の形にした。
一年後、また顔を出した。今度は営業の方から言われた。
「あれ、見積もりを断るときに使ってます」
条件の合わない引き合いを断るとき、会社案内のそのページを見せて「うちはこういう理由で、この工程は飛ばせないんです」と説明するのだという。断っているのに、相手が納得して帰る。何度か、条件を直して戻ってきた先もあったそうだ。
さらに、新しく入った社員の受け止め方も変わった。「先代すごいですね」ではなく、「じゃあ、この案件も飛ばしちゃダメですよね」という質問が出るようになった。物語が、その会社の物差しとして働き始めたということだ。
僕にとっては、これが納品だと思っている。
■ 今日からできる棚卸し
ここまで読んで、「うちにも何かあった気がする」と思った方に、手順を書いておく。制作を頼まなくても、社内でできる。
まず、創業から今日までを五年ごとに区切って、「その期間で、断ったこと・やめたこと」を一つずつ書き出す。事業でも、取引先でも、社内のやり方でもいい。
次に、それぞれに「なぜ断ったか」を一行で添える。ここで「お客様のため」「品質のため」と書きたくなったら、まだ掘れていない。もう一段訊いてほしい。なぜそれが自社にとって譲れないのか。過去に何があってそう思うようになったのか。
最後に、その理由を並べて眺めてみる。三つも並べば、たいてい一本の線が見える。それがその会社の判断基準であり、他社が真似しづらい輪郭そのものだ。
美談は、書いた人の自己満足で終わることがある。判断の記録は、書いた人がいなくなっても働き続ける。
創業ストーリーは、社長の思い出のために書くものではない。十年後の社員が、迷ったときに開くために書くものだ。だから僕は、あの日の失敗以来、「いい話ですね」と言われて終わる原稿を、自分にはもう許していない。
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