「社員が育たなくて」という相談は、たいてい別の話から始まる。
ロゴを作りたい、サイトを直したい、会社案内が古い。そういう入口で来た社長と話していると、途中でほぼ必ず、この愚痴に近い一言が出てくる。
「うちの社員、言われたことはやるんですけど、自分で考えないんですよ」
僕はデザインの人間なので、本来これは担当外だ。でも、会社の言葉をつくる仕事をしていると、この問題からは逃げられない。理念やコンセプトを立派に整えたところで、日々の判断が全部社長を経由しているなら、その言葉は現場では使われないままだからだ。飾りになる。
だから今日は、少し畑違いに見える話を書く。社長が現場から離れられない会社に、たいてい共通していることの話だ。
「常識で分かるでしょう」と言われた日
ある製造業の社長と話していたときのこと。
自分で考えない、という話が出たので、直近で部下がやらかしたことを聞いてみた。出てきたのは、値引きの判断ミスだった。長い付き合いの取引先から値下げを求められて、担当者がその場で受けてしまった、と。
それで、僕はこう聞いた。
「いくらまでなら、現場で決めていいことになっているんですか」
社長は少し黙ってから、こう言った。
「そんなの、常識で分かるでしょう」
分かりません、と僕は答えた。少し失礼だったかもしれない。でも、これは本当にそう思っている。その常識は、社長が二十年かけて自分の中に積み上げたもので、いまのところ社長の頭の中にしか存在していない。社員がそれを持っていないのは、能力の問題ではなくて、まだ一度も渡されていないからだ。
このやりとりのあと、社長は「たしかに、言ってないな」と笑った。この「たしかに、言ってないな」を引き出せた会社は、そのあとの進みが速い。
マニュアルと基準は、別のもの
ここで、よく混ざるものを分けておきたい。
マニュアルは「やり方」を渡すものだ。手順、フォーマット、順番。これは多くの会社が、そこそこ整えている。
一方、僕がここで言っている基準は「迷ったとき、何を優先するか」を渡すものだ。
現場が止まるのは、やり方が分からないときではない。たいてい、どちらも正しく見える二つの選択肢が並んだときだ。値段を取るか、納期を取るか。今回の売上を取るか、来年の関係を取るか。社員の負担を取るか、客の要望を取るか。
このとき社員は、正解が分からないのではなく、この会社がどちらを選ぶ会社なのかを知らない。だから、社長に聞く。聞かれた社長は、また自分で決める。そして「やっぱり自分がいないと回らない」と思う。この輪がずっと回り続ける。
任せる基準とは、要するに、この分岐の倒し方の話だ。
三つの案件を、並べてみる
では、どうやって言葉にするか。僕が実際にやっている手順を書く。特別なことはしていない。
一つめ。最近、社員から相談を受けて自分が決めた案件を、三つ思い出す。
いい話でも、まずい話でもいい。とにかく具体的に三つ。抽象的に考え始めると絶対に進まないので、必ず実際に起きたことにする。
二つめ。一つずつ「なぜそう決めたのか」を、口に出して説明してみる。
できれば、誰かに聞いてもらいながらがいい。社内の誰かでも、外の人間でもいい。書くより、話すほうが出やすい。ここで、たいてい詰まる。「なんとなく」「昔それで痛い目を見たから」「あの会社はうちの雰囲気に合わないから」──言葉になっていない判断が、ここでごろごろ出てくる。
三つめ。三つを並べて、共通点を探す。
これが面白いところで、ほぼ例外なく、社長は同じ物差しで決めている。値段か、納期か、相手の姿勢か、社員の負担か。優先順位はその人の中でほぼ固定されている。ただ、一度も口に出していないだけだ。
四つめ。共通点を、一行にする。
長い文章にしない。覚えられなければ、使われない。「価格より、あとで無理が出ないほうを取る」くらいの粗さで十分だ。むしろ、この粗さがいい。細かく書くと、それはまたマニュアルに戻ってしまう。
五つめ。決めていい範囲を、数字で切る。
基準だけだと現場はまだ動けない。いくらまで、何日までは自分で決めていい、という線を引く。この線は、最初は狭くていい。狭く引いて、守られたら広げていく。いきなり広く渡して失敗すると、社長は「やっぱり任せられない」と学習してしまう。それがいちばんもったいない。
基準を言葉にすると、外にも効く
ここまで社内の話をしてきたけれど、この作業は、外向きの発信にもそのまま効く。
自社の判断基準が一行になっている会社は、営業資料でも、採用ページでも、断り方でも、同じことを言えるようになる。逆に、ここが曖昧な会社が作るホームページは、どうしても「どこにでも書いてあること」の集合になる。書ける材料が、社長の頭の中から取り出されていないからだ。
僕がロゴやサイトの前にこういう地味な言語化に時間を使うのは、そのためだ。ここが決まっていない会社は、何を作っても「社長にしか使えないもの」になってしまう。
なぜ、そこまでやるのか
正直に言うと、僕がこの話にこだわるのは、経営効率の話だけが理由ではない。
判断を渡された社員は、働き方が変わる。自分で決めた仕事には、うまくいったときの手応えも、失敗したときの悔しさも残る。指示をこなしているうちは、どちらも残らない。
僕は、ワクワクして働く大人を増やしたいと思っている。そのために必要なのは、たぶん福利厚生でも、社内イベントでもなくて、「自分で決めていい範囲がある」ということなんじゃないかと思っている。そして、その範囲を渡すためには、渡す側が自分の物差しを言葉にしていないといけない。
社長が現場を離れられないというのは、社長が忙しいという話であると同時に、社員が決められる場所がないという話でもある。
最近、社員から上がってきて自分が決めた案件を、三つ思い出してみてください。その三つを、同じ物差しで決めていませんでしたか。もし共通点が見つかったなら、それはもう、会社の資産になる手前まで来ています。
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